小松の石文化(日本遺産)研究部門

  • 小松の石の文化を通した、産官学協働による地域社会活性化の推進
  • 小松市の文化財関連施策への協力、貢献
  • 公立小松大学生に対する地域活性化にかかるフィールド教育手法の開発


研究部門の概要と研究内容

 小松の石文化研究部門では、小松市及びその周辺地域で産出する「石」を文化資源として活用するいくつかの取り組みを、小松市役所や関連団体、企業などと協力して進めていく。

 本学が所在する石川県小松市は、活火山である白山を背景に、さまざまな岩石や鉱物を産出する。弥生時代中期には現在の那谷、菩提、滝ヶ原地区で産出した碧玉が管玉の材料として関東から九州北部、朝鮮半島にいたるまで広く流通している。その生産、流通の拠点となったのが、八日市地方遺跡と呼ばれる北陸最大の環濠集落であり、鳥取市の青谷上寺地遺跡などとの関係から、日本海沿岸地域の人、モノ、情報の交流の一翼を担っていたことがわかっている。

 8世紀初頭には泰澄法師によって白山が開山され、一方で現在の市内国府地区に加賀国府が置かれていたとされるなど、古くから小松は宗教的かつ政治的に重要な土地でありつづけてきた。その後、江戸時代初期に前田利常が隠居後に小松に移り、城下町を形成したことは、小松の石の文化の展開に大きな意味を持つ。利常は藩主として文化政策を藩運営の中心に置き、その後の加賀藩のあり様を決定づけたが、小松においてはさまざまな産業振興策を通したまちづくりを行って町人文化の形成に大きく貢献しており、また那谷寺の再建や小松天満宮の創建も行っている。この時期に有田焼から製法を学ぶ形で古九谷と呼ばれる焼き物が現在の加賀市で作られ、100年ほど停滞した後に再興九谷として復活するが、その材料となる粘土の多くは市内の花坂地区で採れる花坂陶石から作られている。

 なお、小松城の天守跡の石組みには、現在の鵜川町で採れる凝灰岩(鵜川石)が使用されたことがわかっているが、古墳時代以来使用されている小松の丘陵地産の凝灰岩石材は、滝ヶ原地区で江戸時代以降、観音下地区で大正時代以降に本格的な採掘が行われるようになり、滝ヶ原石と観音下の日華石は全国的な知名度を獲得している。

 また、小松の丘陵地では大量の銅が産出してきた。江戸時代には遊泉寺銅山で、明治期には尾小屋鉱山が開発されている。遊泉寺銅山は1920年に閉山したが、その際に銅山会社の機械部門が独立し、これが発展して小松製作所(現コマツ)として現在に至っている。一方、尾小屋鉱山は横山家、のちに日本鉱業(株)の経営により最盛期には全国7位の産出量を誇り、明治大正期の殖産興業、戦後の高度成長期を支えたが、1971年には完全閉山している。現在は石川県立尾小屋鉱山資料館が置かれ、同鉱山の歴史的資料や鉱物資料を展示している。

 このように弥生時代から現代にかけて、岩石や鉱物を産出し、製品を生産し、世界に送り出すということを一貫して行ってきたのが小松という場所である。そうした岩石や鉱物との関連で成り立ってきた小松の文化は、「『珠玉と歩む物語』小松 〜時の流れの中で磨き上げた石の文化〜」として文化庁の日本遺産に認定されており、現在進められている「文化財保存活用地域計画」策定の協議の中でも中心的なテーマとなっている。

 この「石の文化」と関連する市内各地区では、それぞれ地域の活性化の取り組みが行われており、本学国際文化交流学部でも、「地域実習」や演習科目などを通して、こうした取り組みに積極的に関与してきた。これには行政や市民からの期待も非常に大きい。これらはこれまで学科のカリキュラムの中で担当教員ごとに行ってきたことだが、次世代考古学研究センターが関わることで、全体的な視野から大学として小松市の地域活性化の取り組みに参画していけるものと考える。


研究分野の事例

(1) 鵜遊立地域の活性化

 遊泉寺銅山跡ではコマツ創業100周年を前に、2021年に小松市により遊泉寺銅山ものがたりパークが開設され、近隣の鵜川町、遊泉寺町、立明寺町からなる鵜遊立地域では、地域住民による鵜遊立地域活性化委員会を組織して、遊泉寺銅山跡の再生、活用と一体となった地域活性化の取り組みを行っている。その際、本学国際文化交流学科では鵜遊立地域活性化委員会、小松市役所、小松商工会議所、コマツ粟津工場など遊泉寺銅山再生パートナーシップのメンバーと協力しながら、対話を通して遊泉寺銅山跡の活用、あるいは鵜遊立地域の活性化における問題点を探り、その解決のための具体的な方策を考え、提言してきた。

 2020年度にはコマツ創業100周年にちなんだイベントに協力する形で、小松市長やコマツ粟津工場長などを招いてワークショップを行ったほか、2021年度には小松市で開催された日本遺産サミットにおいて、サテライト会場のひとつとなった鵜遊立地域の「鵜遊立さんぽ - まち歩きマップ」を作成した上で、サテライト会場の運営を地域住民と一緒に行った。2023年には加賀立国1200年に関連したイベントなども計画されており、地域住民、小松市と本学とのさまざまな協働の試みは、今後も引き続き進められていく予定である。


(2) 九谷焼を通した地域振興

 地域の歴史的遺産や人々の営みによって形作られてきた工芸品等は、その土地の歴史を知る上で重要なものであり、保存対象として地域で守られてきたが、近年これらの遺産は「資源」として認知され、時代にあわせて活用することが求められている。九谷焼は江戸時代の古九谷窯から始まり、再興九谷、産業九谷と様相を変えながら地域の産業基盤ともなってきた。現在もなお、日本有数の焼きもの産地として海外にも知られる存在である。小松市では2024年の新幹線駅開業に向け、2019年度から隣接する能美市とも協力し、九谷焼産地をPRする事業を行ってきており、公立小松大学では学生も参加協力しPR活動に従事してきた。それだけでなく、現代九谷が持つ魅力を若い世代や海外を含めた他地域にもさらに認知されるために九谷焼の歴史や製法についても学習を重ねてきた。この事業では小松市、能美市だけでなく、九谷焼作家、関連施設、資料館など多様な関係者からの協力を得ることができ、歴史的遺産や伝統工芸を通じた地域振興を、観光資源の観点から学ぶ機会になっている。


(3) 滝ヶ原地区の活性化

 滝ヶ原地区は良質な碧玉の産出地で、弥生時代には装飾品に加工され全国に流通していた。近世には滝ヶ原石の切り出しが始まり、堅牢で加工しやすい性質から、様々な用途に使われた。全盛期は過ぎたが、現在一箇所の石切り場が稼働している。また、明治後期から昭和初期に滝ヶ原石を用いたアーチ型石橋が築造され、現在も5橋が現存する。このように豊富な石資源を活用してきた滝ヶ原地区は、現在、石文化を核に地域を活性化すべく、地元住民がツーリズムの開発に熱心に取り組んでいる。2016年からは、移住者が空き家となった石蔵をカフェ、ホステル等にリノベーションし運営しており、海外からの来訪者も増加し、地域内外の交流が活発になっている。

 公立小松大学では、地域実習の取組として里山自然学校こまつ滝ヶ原や滝ヶ原ファームとの連携のもと、滝ヶ原地区の石文化調査や情報発信活動を行ってきている。2021年度には、小松市で開催された日本遺産サミットのサテライト会場となったことから、学生が地元住民と協力し滝ヶ原のガイドをつとめたほか、サミットで紹介する動画の制作、石橋や石切り場の360度バーチャルマップの制作等を行った。2022年度は、滝ヶ原の魅力を作り出している「人」に焦点をあてたインタビュー調査と冊子の制作を実施した。

 さらに、教員の研究活動として朝倉は滝ヶ原の里山環境の生態系と滝ヶ原で紡がれてきた文化の関連を探っている。自然資源と創造活動をテーマとしたワークショップ等も、住民との協力のもと開催している。


尾小屋鉱山跡横坑
" 尾小屋鉱山跡横坑 "

遊泉寺縦坑跡
" 遊泉寺縦坑跡 "

往時の遊泉寺銅山
" 往時の遊泉寺銅山 "


遊泉寺巨大煙突
" 遊泉寺巨大煙突 "

滝ヶ原石切り場
" 滝ヶ原石切り場 "



小松の石文化(日本遺産)研究部門の構成員

*2023年5月1日現在


杓谷 茂樹
杓谷 茂樹
- Shakuya Shigeki -
教授(専任)

国際文化交流学部 国際文化交流学科
/ 次世代考古学研究センター
観光人類学

中子冨貴子
中子冨貴子
- Nakako Fukiko -
教授(専任)

国際文化交流学部 国際文化交流学科
/ 次世代考古学研究センター
観光、観光社会学

朝倉由希
朝倉 由希
- Asakura Yuki -
准教授(専任)

国際文化交流学部 国際文化交流学科
/ 次世代考古学研究センター
文化政策